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【制作裏話】愛とは自分のもっていないものを与えることである、それを欲していない人に。

執筆者の写真: 殺痲れご / Ayame Lego殺痲れご / Ayame Lego


※寝不足のふわふわの頭で書いているので変な文章や矛盾があるかもしれません。

※そのうちしゃっきりしているときに大幅に書き直す部分があるかも。


 

本題の前にコンテンツツリーに登録できないけど

紹介として貼っておきたいリンクを先に貼っておきます。

ありがとうございました。


エンドロールに使わせていただいた音楽 ※著作権がすでに切れているものです。

Daisy Bell - IBM 7094


動画素材や音響素材を集めるのにめちゃくちゃお世話になっているサイト

 

構想


今回の目的は「2001年 宇宙の旅」と「アルジャーノンに花束を」という恐らく元ネタになっている名作二作とVRAINSとの相違を探りながら遊作とAi(そしてロボッピ)の輪郭を探りたい...という感じでした。

ファンアートとして動画を作っているときはいつも「二次創作で分かりづらいことやってもなぁ…」という心と「二次創作でも創作は創作なんだから余白を作ったり説明を避けて描写に留めたりあえて原作再現を避けたりしてもいいだろ」の気持ちが戦うんですが、今回はとりあえず後者が勝ったので、そんな偉そうなことを考えながら動画制作を進められました。良かった。

解釈的な話は後述するのでいったん動画構成についてシンプルに解説しちゃおうと思います。せっかく動画があるのに説明なんかしたらなんの意味もないだろ!とキューブリックだったらキレてると思いますが、臆病なのでどうしても気づいてほしいとこだけ書いちゃいます。

ひとまず主人公はAiです。見てのとおりですがAi編のAiの動きをなぞるような構成にしています。

AiのターニングポイントはやっぱりAIらしい合理的な判断と未来を信じきれない臆病さがゆえにライトニングのシミュレーションをまんまと行ってしまったところだと思っており...だからイグニスのお墓の前にいるシーンから明らかにAiの様子がおかしくなっていく構成にしています。(動画のスタート時点ですでにAi編なので仲間をすべて失ったかなしみの描写程度ははじめから入れています)

あとこれは偶然なんですが、ライトニングのお墓が一番右にあるおかげで『ライトニングのたくらみから二年目のあれこれが始まり、それに振り回されるも、Ai編ではそのライトニングと同じようなところに収束してしまったAi』という構図が右から左へ、左から右へというモーションとものすごくかみ合ってくれて興奮しました。

シミュレーションシーンの直後からはロボッピのターンです。

ここは歌詞の「小さな部屋の 小さな明かりが 私の太陽だよ それでいいの」がどうしてもロボッピを連想して泣いてしまったために入れています。そしてサブリミナルアルジャーノン。

セピアな画面にだんだん色がついて...壊れて、ぐちゃぐちゃになって、またモノクロに戻りつつも記憶回路にのこった思い出はうつくしいという描写になっていることに気づいてもらえたらうれしいです。VRAINSの知識だけでもロボッピの顛末ときちんと噛み合うので納得はしてもらえると思いますが、『アルジャーノンに花束を』を読んでいただけると何をしているのか...というところがすこし伝わるかなと思います。

私は「他人に対して思いやりを持つ能力がなければそんな知能など空しいものです」を読んだときに涙がでました。


で。Aiって泣くんですよね。

いまだにSOLtiSのことよく分かってないのですがなんのための機能なんでしょうか。やっぱり感情が見えた方が人間は親しみやすいからかな。人間至上主義め......

今回の動画ではかなりAiを泣かせています。泣いているところの印象があまりにも強かったためです。

それとAiって『AI』であり『愛』であることは作中で説明されましたが、出会ったときに目玉だったから『eye』で、自我を強調する意味での『I』で、自身を表すモンスターが「ドヨン」であることから読み取れる彼の『哀』でもあると私は思っています。

ほかはわかりやすいので説明しませんがAi編のAiはずっと悲しみながらイライラしてる人だな~と感じるので、感情的に泣いているというよりどこか冷えてる涙を多めに描写しています。

今回は全部の『アイ』要素を入れているので探しながら見てもらえたらなんかうれしいです。


(ゴンドラ~ラストのシーンは一旦なんにも明かさずいろんな感じ方をしてもらいたいなと思っているので当分は意図は書きません。あと書いてるうちに眠たくなってきた

最後は遊作と会えるかどうかだけを真剣に悩みました。

OCGは比較的肯定的な解釈ができましたが、リンクスに関しては手放しに喜べる状況とまでは思ってないですし、遊作の言葉やAi自身のことを尊重するならば二人で一緒にいられたら別にそれでいいんでしょみたいな態度を取りたくないし、そういうノリのハッピーエンドってチープなので......。でも、ふたりはお互いのことだいすきでしょ。みたいな。

その結果のエンドです。ドキドキしてもらえてたらうれしいです。


 

『2001年 宇宙の旅』と遊☆戯☆王VRAINS


VRAINSにおける『2001年 宇宙の旅』要素といえばボーマンとハルですが、今回の動画ではモノリスとしてのAi、ボーマンとしての遊作を意識して構成や演出を入れています。

鴻上博士は人類を新たなステージに導く存在-モノリス-としてイグニスを生み出したわけではなく、むしろ新人類-スターチャイルド-としてイグニスを生み出したかったことを考えるとズレがあるのですが、結局イグニスは最終回時点では人類の後継種たりえず全滅していることと、イグニスの墓が十字架ではなく直方体で自然のド真ん中に置かれていたのがモノリスを連想させたことと、イグニスが世界に与える影響の大きさ(ときに必ず世界が滅びるというシミュレーション結果が出るほど)を考慮して私の中ではこの解釈に収まっています。


ボーマンとしての遊作と書きましたが、遊作はボーマンではないです。

しかし、もし遊作とAiの融合が行われたら...つまりボーマンが木星でモノリスに触れて急激に進化したように人間とAIとの融合が行われたら、それこそがスターチャイルドにあたる存在だったのでは?と思っています。

そうだとすればボーマンがやろうとした「他者を疎かにした急激な進化」を否定した遊作が融合の提案を受け入れなかったのもめちゃくちゃ筋が通るんですよね。

VRAINSでは敵役として出てくる鴻上博士やボーマンが目指したものが結局のところスターチャイルドだとすると......動画内で遊作がモノリスに触れるシーンの意味と意図は......


割愛


なにかのオマージュを入れつつ、ちゃんと『その作品が出す答え』は元ネタに頼っていない作品ってめっちゃ誠実でスキです。


 

遊作とAi

ここからは過去ツイの再放送をしながら二人についての解釈をなんとなく残しておこうのターンなので、まとまりがないですがお許しください。もうねむくて...あたまもいたくて...


最終回の結末って根拠のある運命だと思っているので、最終回で一緒に歩けなかったふたりはもうそういう星の下にめぐりあったふたりなんだねと思ってしまうし、リンクスのように再会できても一時的なものかもという恐怖がずっとあります。

でもただの離別ではなく、全然折れてない遊作とやっぱりタダでは消えないAiでもあったので、なんか、もう完全に途絶えるということはなくリンクスのようにいつか再会してまたパートナーとしてやっていける未来への説得力でもあって、でもそれもずっとは続かず一時的な共闘にしかならない可能性もあって......。

遊作の言葉に重みを感じた私はどうしても後者寄りに捉えちゃうんですが、信じたいとも思っているのでずっと考え続けます。部屋の恵方にアコードのレリーフをぶら下げて。


Ai編のAiってほんとうに「地球にたった一人生き残っちまった人間みたいなもん」なんですよね。

ぶっちゃけ人間という種がどうなろうがもう関係ないくらいには人間のこと嫌いになっててもおかしくないと思うんですけど、人類滅亡ルートに入っても遊作のことだけは手にかけられないし、それ以外にもいろいろな不都合(特に数年後に遊作が死ぬような未来)があるのでもうそりゃ訳わかんなくなるわなとおもう。

合理的に考えるからこそAを取ればBを取れないみたいな状態をありありと認識しちまうというか…………

ので、遊作となら何か変えられるかもって非合理的な“祈り”で遊作の可能性にもう委ねてしまいたかったっつーデケエ甘えと信頼も融合提案にはギュッと詰まっているとおもいます。

Aiのそういう...計算が得意な生命ゆえの臆病さがつらい。だいすき。


最終回冒頭の生きるって辛すぎる問答(生きるって辛すぎる問答)て結局言ってることは合理性vs精神論なんだけど、生きることを急ぐことはできないに対して返してる言葉が「だけど俺はそんな答えのない戦いを続けるつもりはない」だから端から「苦しみを乗り越えて生きていく」って考えが無いんですよね。

苦しみは乗り越えるもの(生きている限りずっと向き合わなきゃいけないから)

VS

苦しみは避けていきたい(乗り越えられないから)

だからもしかしたらライトニングやAiがシミュレーションを止めた先に“それを乗り越えた場合”の未来があるかもしれない...というのが遊作の言いたかったことなのかなと思っています。

私はVRAINSめちゃくちゃ向いてた人間なので「誰もが苦しくなるとラクになるための答えを求める」を聞いて すみません...と思い、「だから人は強くなる」を聞くたびに人生がイヤになります。誠実すぎるよ。


Aiがプレメに友達って言うの、今まで“相棒”であることは散々主張してきたというか伺ってきたのに突然友達という別の概念が生えるから混乱しません?友達ってなに?(遊戯王で何十回と繰り返してきた疑問)

それと同じ違和感があるのが融合提案したときに「寿命なんてものも関係ない」って突然生きる時間の違いの話を出すところで、そんな話なんか一回もしなかったやんみたいになるんだけど、それに関してはシミュ次元の中で遊作を失うことへの恐怖が芽生えていつか来る絶対的な別れに怯えたのかな…

いやでも融合提案したのって寂しさもあったとは思うけど、どっちかっつーと自分がいる限り訪れてしまう破滅への恐怖を止めてくれる救世主/抑止力を失いたくないみたいな感じだと思ってて……(Aiは臆病だから)

その発想に至ったのが、シミュ次元の中で破滅が訪れるのが決まって遊作を失った後だったからなのかな と思っている 遊作が死ぬ度にリセットされるシミュレーションを何億もやって自我が壊れて、遊作を失ってはいけない思いと同胞を失った悲しみ/人間への恨みでどっちも選べない中で情が混雑したとか

わかりません。いろんな人の話が見てみたい。


ラストデュエルのAiマジでもうどこに向かったらいいのか分からないのに帰る場所もなくなっちゃったみたいな人だから……痛々しい……

人類を傷つけない道を選ぼうとするには同胞たちを失った悲しみと孤独でおかしくなるし、人類を滅亡させちゃう道を選ぼうとするには遊作のことが好きだったんだな…………


Aiの愛の芽生え、名前をもらったときかもしれん(名推理) 愛って芽生えと自覚は別タイミングなこともあるので


遊作のこと大事にしてくれる人はそれなりにいるけど遊作のことを一番にしてくれる人は全然いないかもしれない

Ai編までは結構そうなんだよな

そこまでのAiもあくまでサイバース世界やイグニスの未来のために動いてたし

ロボッピにとっての遊作は「一番幸せな場所」だったんだけど、そもそもロボッピの世界が遊作しかない状況での一番って意味が無いから……

だから3年目からのAiの存在って遊作にとってめちゃくちゃ大事なものになるはずだったのに、愛してたぜで幕引きだからなぁ......遊戯王VRAINS......

愛に優劣はないとも思うけど、でも誰かにとっての『一番』をもらえることは何にも変え難いもの


3年目のAiってあんまりにも回りくどいから説明されてもすんなり飲み込めないとこがあって、そこがAiの臆病さが見えるところだし、頭の良さに心が追いついてない証左だよなぁとおもう


 

わたしがあなたに贈るものを拒絶してくれるようあなたに頼む。

なぜならそれではないのだから。

-- ジャック・ラカン

 

以上!ねむい!


感想はいただければなんでもうれしいです。

 
 
 

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